更新日: 2004/03/10




2003.11.3 (Mon)

ちょうどそういうことについて [dream]

考え事をしないといけなかったから、何の気なしにオブザーバーの「ベスト100」から日本を代表する小説(または映画)のことを考えてみようと思ったんだけど、いろいろと考えていくうちに、何が何だかよく分からなくなってきた。

「やっぱり○○なところが日本なんだよねえ」という物言いは、じつのところ「やっぱり○○でないものは日本的でないんだよねえ」と言っている場合が多くて、しかし、その議論はそもそも「○○でないもの」=「日本的でない」からスタートしていたりするから、結局のところ「やっぱり日本人は何をどうしたって日本人なんだよねえ」と言うのと変わらなかったりする。さすれば自分でないものを自分ではないと思うところに自分そのものを見出すところが日本的なのか?

と、堂々巡りするうちに煙草が増える。

で、ものすごい久しぶりにマルボロを吸ってみたら、煙草がやたらとでっかく見える。手で「こより」状に巻いて真っすぐにできる太さというのはたかが知れているので、それに慣れてみると、それまで吸っていたマルボロが「げ〜、いっぺんでこんなに吸うのか」ってくらい大きく見えるのだ。

ということで、たぶん15年くらい前に見た夢を思い出した。

私は灰皿である。

飾り気のない丸いクリスタルの灰皿である私は
ダルマを平べったくしたような格好で
一枚板のカウンターの真ん中に仰向けに横たわっている。

ここは小さな珈琲屋さんで
視界の左下隅にドアが見え、足元には5〜6席のカウンター席
その向こうには3つのテーブル席がある。

視界の端のドアが開くたびに私は恐怖に慄くのだ。

ドアを開けて入ってきたお客さんが
カウンター席の方に歩いてくる姿をながめながら
私は頼むからここには座らないでくれと願っていて
そのお客さんが奥のテーブル席に陣取った時には
安堵の吐息をもらすのだ。

またドアが開く

今度はカウンター席、しかも目の前に座られてしまった。
頼むから煙草を吸わないでくれと思う私の願いもむなしく
そのお客さんは懐から煙草を取り出すと
ゆっくりとそれに火をつける。

なにせ私は灰皿なのだから
目の前に取り出される煙草はものすごくでっかい。
払い落とされた灰が上空から降ってくる。
そのむこうに見える煙草の火が
吸いこむ度にでっかく赤く光って
やがてそれが私に向かってゆっくりと降りてくる。

ちょうどヘソのあたりに押しつけられた煙草の火が
あまりにも熱いから「わっ」と叫んで飛び上がったら
私は布団の上に起きあがっていたのだった。

ところで和辻哲郎は「風土」の中で、こんなことを言っている。

我々は寒さを感じる。すなわち我々は寒さのうちへ出ている。だから寒さを感ずるということにおいて我々は寒さ自身のうちに自己を見出すのである。

灰皿が感じる熱さ、つまり「煙草の火の熱さを感じることで熱さ自身のうちに自己を見出している灰皿」のうちに自己を見出している夢というのは日本的なのか?

まだまだ煙草は増えそうである。



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2003.11.10 (Mon)

チョボチョボと [etc]

枯葉の残る木のてっぺんにリスがいる。

この部屋は4階にあって、その窓の真向かいに見えるのだから、2匹のリスはたぶん地上約10mくらいのところにいて、そよそよと吹く風にしなっている小枝の上でうまいことバランスを取っている姿は、「プロジェクトX 東京タワーの巻」に出てきたとび職の若頭みたいだ。

あっちの小枝に残る枯葉に手を伸ばし、何かをつかむと口元まで持ってきてモゴモゴする。それが終わると次の小枝に手を伸ばし、何かをつかんではモゴモゴする。2匹のリスは、まるで同じゼンマイ仕掛けで動いているかのように、小きざみに同じ動作を繰りかえしている。

それが官庁であろうと、会社であろうと、膨大な人間をかかえこんだ組織は、一般的にいって効率は悪いのである。その組織を構成している人間それぞれの才能とはまったく無関係に、組織の機能は低下する。
...
たぶん、われわれがこれから考えなければならないのは、「組織」をそのまま認めたうえで、個人の才能を開発するための方式であろう。
...
それは組織の内部における組織の分散化である。さまざまのディシジョンを組織の中のさまざまな地点に、分散させてゆくことである。係長、課長、部長といったようなコミュニケーションの流れを意識的に中断して、「組織の中の小さな組織」に一種の自立性を持たせることである。

と言っているのは社会学者の加藤秀俊で、

もはや「管理型マネジメント」では企業経営はやっていけません。職務規定を細かく定め、業務マニュアルを具体的に提示し、社員の労働を詳細に管理するというのが管理型マネジメントの本質です。これは、マネジャーにあまり力がなくても企業経営ができる。しかし、これからの時代のマネジャーは、社員の自発性を尊重する「創発型マネジメント」を行わなければなりません。
...
これからの時代の企業は、こうした知的プロフェッショナルが集まってくるような魅力的な場を生み出す必要があります。その1つの方法は、その企業が、人材の成長を支える「人材インキュベーター」の役割を果たすことです。

と言っているのは経営コンサルタントの田坂広志だ。

この2つの文章のいちばん大きな違いは、加藤秀俊のやつは1965年に書かれていて、田坂広志はこれを2000年に発表している、という点である。



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