更新日: 2003/10/09




2002.11.22 (Fri)

雪見だいふく(その1)[words]

昨日の晩、雪見だいふくを食べた。

だから何だと言われそうだけど、これ、少なくとも私にとってはけっこうすごいことなのだ。だいたい私は雪見だいふくをことさらに食べたいと思ったことはこれまで一度もないし、ここで雪見だいふくを買おうと思ったらミニ雪見だいふく 9 個入り¥300 パックに約¥760 を支払う覚悟がいる。そもそも私は

の数式を根拠に肉を買ったりするクチなので、私の功利主義的価値観にあっては、雪見だいふくは極北に位置する食べものなのだ。

なのに、雪見だいふくを食べることになったのは、同じマンションに住むいろんな国の人が集まって、それぞれの住むフラットを徘徊するという趣向のパーティがあったので、何か「日本的」なものを出す必要にせまられたからである。もちろん雪見だいふくをして「日本的」というのはかなりハテナな部分がないこともないけど、その日は細々と準備している余裕もなかったし、少なくともこの種の(あんな風なコーティングを施したやつってことね)アイスクリームはここには売ってない。

そういうわけで日本の食材をいっぱい置いている中華スーパーマーケットにおもむき、冷凍の餃子や何だかよく分からない冷凍中華食品のまっただ中に置かれている雪見だいふくに手をのばしたら、赤と白を基調にしたカラフルなパッケージがものすごい懐かしく感じられた。たしかにこの 2 か月間、こんな風な無意味にマンガチックで過剰な装飾から確実に遠ざかっていたのだ。

この地では何かを買うということは、その機能なり効用なりを買うことであって、それ以上でも以下でもない。

たとえばヤカンを買おうと思っていくつか店をまわると、ここで買えるヤカンというものは基本的に 6 種類に限定されていることがたちどころに分かる。火にかけてお湯を沸騰させるタイプのやつはほとんどなくて、ヤカンといえば電気で水を温めるものである。で、そのようなヤカンはプラスティック製またはステンレス製のいずれかである。これで 2 種類。で、プラスティック製、ステンレス製のヤカンはそれぞれに 3 種類のタイプがある。大と中と小。ってことで 6 種類。おしまい。

まあたしかにプラスチック製のやつに白・赤・青くらいのバリエーションはあるけど、それを足したって 10 種類プラスαくらいのものだから、東急ハンズのヤカンコーナーを前にした時の目眩のようなものがとても懐かしく思えてくる。

ヤカンを買うというのは、水を温める機能を買う行為なのだ。

これってヤカンにかぎった話ではなくて、まったく同じ原則が食事にも適用されている。晩飯を食う、ということは、栄養を補給する、という機能なのであって、具体的にいうと肉+パン+じゃがいも(+それ以外の野菜)の摂取である。

で、パン以外の栄養素については、煮る(または焼くまたは炒める)+ブラウンソース(またはソルト&ペパー、またはその両方)で味付ける、ということになっていて、基本的なバリエーションは

という数式によって導かれる。

(ブラウンソースまたはソルト&ペパー、またはその両方を加える度合い)というのは、料理ができあがった後にやるもんだから、それを食事の種類に加えるのはいかがなものか、なんて思ったらそれは大きな間違いである。この種の作業を終えるまでは料理とはいえないのだ。

もちろんこれにデザートが加わったりすることはあるわけだけど、それだってアイスクリームなもの、チョコレートなもの、クリームなもの、フルーツなもの、の基本タイプを組み合わせたものにミニマルな加工を施すだけだから話はいたって簡単である。

てなわけで、ここには雪見だいふく的にマンガチックで過剰な装飾をほどこした「趣向」で勝負する食べ物が存在する余地はどこにもないわけで、そう考えてみれば、雪見だいふくってかなり日本的なものに見えてくる。



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2002.11.23 (Sat)

雪見だいふく(その2)[words]

でも、これってうんと昔からあるわけじゃないよなあ。

そう思って調べてみると、ロッテが雪見だいふくを最初に売り出したのは 1981 年だということが分かる(これを「うんと昔」と定義するのか、「それほど昔じゃない」と定義するのかは議論の分かれるところだと思うけど...)。

1981 年は、イギリスでチャールズ皇太子と今は亡きダイアナさんが結婚し、日本ではポートピアが神戸で開かれ、沖縄にヤンバルクイナが見つかり、新潮社から今は亡き FOCUS が創刊された年である。

で、フランスでは今やパリ大学の名誉教授であるジャン・ボードリアールという人が「シミュレーションとシミュラークル」という本の中で、現実は記号の中に存在すると主張し、日本では今や県知事となった田中康夫が、「なんとなくクリスタル」という小説の外に存在するブランドのディテイルの方が大切なのよと主張した年でもある。

アイスクリーム業界では後発だったロッテが、2 年続きの冷夏で落ち込んだアイスクリームの販売不振を挽回すべく、冬場にこたつで食べる大福餅をコンセプトとして開発し、異例の大ヒットとなった商品。

てな具合に語られる雪見だいふくだけど、そんな風な商品が空前の大ヒットとなるそもそもの背景には、機能や効用といった「実質」よりも趣向や違いといった「パッケージ」の方にこそ現実味を感じられるようになった時代の流れがあるわけで、それをボードリアールがポストモダンと呼ぶなら、雪見だいふくは日本におけるポストモダンの象徴であって、機能や効用ではなく、その記号性にこそ「日本的」なものの本質があらわれているのだ。

そんなことを考えたのはもちろん今日になってからの話。

昨日の晩は雪見だいふくをはじめて食べたこの地の住人が、これをもっぱら次のように賞賛するのを聞いた時には、目が点になっただけである。

「こういうので包んであればアイスが手に付かなくていいねえ」



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