2003.6.3 (Tue)
▼ 光陰矢のごとし [words]
とは文化人類学的に言うとどういうことか?
という禅問答があって、それはたぶん、時間というのはどこでも同じように流れている均質なものと考えられているけど、さにあらず、といった方向で何か考えよ、ということが求められていたんだと思う。
たとえばヨーロッパでは、18世紀くらいになるまで「歴史」というのは、昔のことを言った(書いた)もの、というだけで、いろんな場所のいろんな歴史が、同じ時間の中で起きた違った場所の話だとは考えられていなかった。
19世紀に入って、世界のいろんな国のいろんな歴史が入ってくるようになっても、そうした「歴史」というのは、創世記に書かれていることが、いろいろと枝分かれした形でいろんな国の話になっておるのだ、と考えられていて、ここでもそれが同じ時間(つまり同じ世界)で起きている出来事として認識されていなかった。
19世紀も半ばをすぎると、さまざまな考古学的発見が出てきて、創世記よりももっと昔から「世界」があったことが判明すると、そこに同じ時間が流れているわけね、と思うようになってきて、今度はそこに存在するいろんな文化の国というのは、違った発展段階を示すものなのだ、と見るようになってきた。これが社会進化論(と、ここまでが話の導入部分)。
が、これから先をどんな風に続けたらいいのか分からない。
なにしろこの前の日曜日は、例によってその日が日曜日だということを忘れていた。翌日の月曜日は、夕方になるまでずっと日曜日だと思ってた。今日は「わ〜っ、もう今日は6月3日なのか。光陰矢のごとし」とビックリした矢先に、6月5日に予定されていたミーティングを16日に延期していいですか?というメールをもらってはじめて、そんなミーティングが組まれていたことに気がついた。で、その状況にかなり焦りながらも、ここ5〜6日ばかり連続しているパスタ+ローストチキンの晩ごはんを食べているのだから、時間の区切れ目について何か考えよ、というのは無理な話なのだ。
ということで、私の中に流れる時間というのは、話された時間でも創世記的時間でも、はたまた進化論的、あるいは均質な時間でもなく、ボルヘス的な時間なのである。
私は時間でできている。時間という川は私を押し流すが、私自身が川なのだ。時間という虎は私をむさぼり食うが、私自身が虎なのだ。時間という炎は私を燃やし尽くすが、私自身が炎なのだ。
2003.6.5 (Thu)
▼ というわけで [etc]
時間内でやるべきいろんなことを算段するのは大の苦手である。とはいえ、たまにはそういう事態におちいることがあって、そうなるとかなりパニックである。
たとえば今日の午前。
まずは銀行に行かないといけない。小切手とキャッシュを口座に振り込むためだ(ATMでやれたら楽なのに)。
それから本を返さないといけない。って、どことどこに返せばいいのだ?いや、その前にコピー取らないといけない。そうそう、石子センセイに出す書類もコピーが必要なのだった。だったらホッチキス持ってった方がいいか?
およっ、この本は返却期限切れだぞ。するとつまり延滞罰金払えってか。ならば銀行に行った時に、まずはATMでキャッシュを引き出す必要があるぞ。
じゃあ銀行のついでに洋服屋さんにも行くとするか。が、銀行+洋服屋さんで時間を取っている間に石子センセイが部屋からいなくなってしまうのもマズイ。ということで、まずはATM+小切手、それから石子センセイ、で、図書館、その次に洋服屋さんに決定...
てな具合に用件を整理整頓しようとすれば、すでに私の処理能力はいっぱいいっぱいになっているから、その最中に自分がやっていた動作の意味がきれいサッパリふっ飛んでしまっていたりする。
ということで、ちょっと煙草を吸ってから出かけようと、箱から1本取り出して口にくわえ、いざ火を付けようとしたところで、何かがおかしいことに気が付いた。
口元に寄せられた左手が握っているのはホッチキスなのだった。
2003.6.6 (Fri)
▼ 白鳥がもどってきた [etc]
ここしばらく見かけなくて、てっきり北の方に飛んでいったと思ってた2羽の白鳥が窓の下の小川に浮かんでいる。
そのまわりには、はじめて見るカモの子ども。少しだけ茶色のまじった灰色のからだに、黒い小さなくちばし。5羽。
と思ったのだが、子ガモがたわむれているにしては近くに親ガモがいないから、これは白鳥の子どもなのかもしれない。しばらく姿を消していたのは、この子白鳥(って何だか中国の詩人みたいだからチビ白鳥と呼ぶことに決定)を生むべく、どこかにこもっていたのだろう。
たしかに、5羽のチビ白鳥がそろって泳ぎはじめると、父親だか母親だかの白鳥がそれとなく向きを変え、チビ白鳥の隊列を後方支援するみたいにゆっくりと泳ぎだす。好き勝手に泳いでいるかに見えるチビ白鳥も、しばらくすると自然にママ白鳥(だと思う)を囲むかたちで整列しているのだ。
「グアッ、グアッ、グアッ」とカモが近づいてくると、どちらかの白鳥が「何か用か」的なニラミをきかせている様子で、じっさいにカモは「いや、ちょっとここを通らせてもらいたいんですが」な風情で小川のはじっこを横切っていく。
もちろん動物のことだから、先制攻撃をしかけるなどという知恵は浮かばないらしい。
2003.6.9 (Mon)
▼ 1日目おわり
何がどうなるんだか予想がついていなかったわりには、何てことなく第1日目が終了。もちろん、何ごとかが起きるのは非常にマズイことなわけだけど、とにかくこれで残すとこ3日になってひと安心。
とはいえ、たかが午後からの3時間のために白いボウタイに黒のスーツ、それに膝までの長さの袖なしマント(ていうんだか何だか)を着なきゃきけないわけだから、決して「何てこと」ない1日ではなかったという話もある。
基本的に(というか徹底的に)出不精な私なので、牛津村の主だった場所ならびにその機能についてほとんど知識がなかったのが幸いしたのか、一同うち揃う場所におもむいた後でも、気分はなんだか観光客なのだ。
ほほ〜っ、この建物の内部はこんな具合になっていたのか、とか、うむ、そこの電光掲示板に案内が出るのか、とか、ありゃま、ここの掲示板にいろんな情報が張りだされていたわけか、とか、とにかくいろんなことに関心してしまう。
で、入り口のホールにぞくぞくと集まってくる仲間の顔を見ると、ふだんは見かけない「緊張の面持ち」になってるのが面白くて、いろんな人のいろんな顔をながめているうちに時間がくる。
部屋に入って、自分の名前のシールが貼られたテーブルを探して、なんだかんだの注意事項を聞いたら、「では、開始」の合図とともにひたすら書く。とにかく書く。じっくり考えるヒマはない。手がしびれる。
ということで3時間が経過。
ひさしぶりに「カフェ・ネロ」に寄ってカフェラテを買い、飲みながら家まで歩くうちに、ほぼ毎日通っていた4月のことを思いだした。