2003.6.11 (Wed)
▼ ドイツの元経済相が [etc]
スカイダイビング中に自殺したらしい。
詐欺や背任の容疑に対して、検察からの強制捜査の請求があった15分後にダイビングした元経済相は、経験が豊富であるにもかかわらず、1000メートル近くでメインのパラシュートを体から外し、予備のパラシュートも開かないまま地面に激突、即死した。
というニュースがあっただけに、私はものすごい怖がっているのだ。
今まさに降下しようと、洋上を飛ぶヘリコプターから身を乗りだして眼下を見下ろしている私は、パラシュートが開かない事態を想像しているのである。
目の前にひろがる夜の海には、おそらく月明かりに照らしだされた波が縞模様をえがいていて、星がいっぱい出ている空を見あげているように気分になる。
やっぱダメだわ。
ヘリコプターを操縦しているおじさんに向きなおってそう言ったところ、おじさんは全然それどころじゃない様子で必死に前をにらんでいる。視線の先には断崖絶壁があって、おじさんは衝突を回避すべくヘリコプターを急上昇させようと躍起になっているのだった。
が、そこは断崖絶壁なのではなく、じつは昔風の家の床の間で、開けはなたれた障子のむこうに畳敷きの大きな部屋が見える。
ということが分かったとたん、ヘリコプターはすでに家の中。
隣りの部屋、といっても襖がぜんぶ開いているから、すぐ目の前におじいさんがいて、食卓で夕刊を広げながら晩ごはんを食べている。すぐ前の前をヘリコプターが飛んでいるというのに、ぜんぜんこちらに気が付かないのは、きっと耳が遠いせいなのだろう。
と、バランスをくずしたヘリコプターが機体を揺らすと、後ろの方から「バコッ、バコッ、バコッ」という音が聞こえた。畳だか床だかにプロペラが当たったのに違いない。
それにしては、何ごともなく飛んでいるのはヘン。
おじいさん、さすがに何かおかしいということに気づいたらしく、こちらの方をながめながら、どこかに電話をしようと立ちあがる。たしかに顔はこちらに向いているのだけど、ヘリコプターに乗りこんでいる我われを見つめるわけではなく、おじいさんの目は我われを通りこしたずっと先の方をながめているみたいだ。見えていないのだろうか?
おじいさんが手をのばす先は、鴨居の上なのだか、たしかにそこには黒電話があって、ダイヤルする間もなく受話器を持って何やら話をはじめた。
またしても「バコッ、バコッ、バコッ」という音が聞こえる。
という夢を見た。
もちろんこれは「落ちるかも」をテーマにしているのはハッキリしているのだが、何をどうやったらそれがヘリコプターの床の間遊覧旅行に結びついてしまうのかがサッパリ分からない。
2003.6.12 (Thu)
▼ 今年の10月1日から [words]
鳥取県若桜町にある地名が変更になるそうだ。
2つの川の合流地点にあり、その昔は洪水のたびに田畑が流されたことから「香らない田」の意味で名付けられたともいわれている「不香田(ふこうだ)」。これを「香田」に変更することが、20日の町議会で全会一致で可決された。
去年の11月、関西在住の同町出身者との交流会で「読み方に驚かれる」と話題になって、今年の2月、ここの住民の人が地名変更を町議会に要請していたそうだ。
はじめて会った人との話のネタになっていいような気もするが、毎回驚かれていたのでは確かに面倒くさいのかもしれないし、今はこんなご時世だから、不幸話に持ちこんで笑いをとろうとしたら逆に笑えない状況に、などというシチュエーションも考えられる。
しかし、1952年、大分県中津市が大字「助部(すけべ)」を「上如水(かみじょすい)」に変更した時ほどの切迫感はないような気がするし、群馬県富岡市の南蛇井(なんじゃい)出身の人だって同じように驚かれているはずだが、ここは地名を変更する気配がない。
ひょっとすると、この地名変更、そのココロは元号を替えて気分一新、みたいなところにあるのかも。
今日はちょっといろいろあって、ひさかたぶりに思いきり晴れた牛津村なのに、それがどうしても「憂し頭村」に響いてしまうから、明日以降の気分を刷新するために新たな呼び名を考えた方がいいのかもしれない。
2003.6.13 (Fri)
▼ ヘリコプターの夢が [etc]
「落ちる」という切迫感をテーマにしているわりには、後半がかなりノンキな内容だったことが解せなくて、いろいろと考えているうちに、新たな事実が分かってきた。
ヘリコプターが登場する背景に思いあたるフシがないとはいえないし、乱入した部屋だって、数日前に「スクリーニングやりますよ」というメールがきていた映画「東京物語」の冒頭に出てくるお葬式の場面の日本間みたいである。
眠る前に読んでいた本には、日本家屋における「内側」<->「外側」「権威」などなどのシンボリズムについての記載があって、そこで晩ごはんを食べていたおじいさんは、1〜2日前に見た「3Dおやじ図鑑」の ジャバオヤジ(の15年後)みたいに思えなくもない。
夢を見る前の晩には、映画「マトリックス」の小道具に使われていた黒電話の話をしてたのだから、まだまだナゾな部分はいっぱいあるにしても(なんで黒電話が鴨居の上に置かれているのだ、とかね)、ヘリコプターの夢の基本構造は、ここ数日間が前後の脈絡なしに1本のストーリーになったもの、であったのか。
てな具合に夢の後半戦以上にノンキなことを考えられるのは、昨日をもって試験が終了したから。
気づけば天気もすっかり夏めいていて、街には夏服を着た女たち(って男もそうだけど)が闊歩しているではありませんか。かくなる上は原っぱに出て昼間っからビールでボサノバだっ、と意気ごんだ矢先に「例の件、そろそろ始まりますよ〜っ」と仕事のトレースのメールが入ってくる。で、追い打ちをかけるみたいに別件の仕事のデータが送られてくると、話に聞いていたより量がずいぶん増えている。しかし締め切り日にはほとんど変わりがないぞ。
してみると、断崖絶壁の危機を脱し、おじいさんの部屋にたどり着いた安心感のすぐ後で、ヘリコプターの後方から「バコッ、バコッ、バコッ」という音が聞こえてきたのは、今の気分をあらわす正夢であったのか。
2003.6.15 (Sun)
▼ 黒い体に [etc]
くちばしから頭までが白くなっていて、「さえない汽笛」チックな金属音で鳴く鳥。
と思っていたやつは、どうやら川鵜であるらしい。
前の小川に浮かぶ2羽の鳥は、いつも通り金属的な声をあげながら、しかし今日はひっきりなしに川底にザブッと身を沈めてはエサをあさっている。この小川の底にめぼしいエサがあるとは思えないけど、マイヨールも三舎を避けるの勢いで潜水していた川鵜(たぶんね)が浮かびあがってくると、くちばしには確かに何かをくわえている様子。
これをすぐさまチビ川鵜に分け与えるのだ。
2羽の川鵜のまわりにいる4羽のチビ川鵜は、20センチくらいの黒い小さな体に、くちばしから頭頂部がオレンジ色をしている。きっぱり浮かぶでもなく、かといって沈むわけでもなく親のまわりにかたまって、くちばしからエサを分け与えてもらっているチビ川鵜をここからながめていると、オレンジのラインの入ったオタマジャクシが水面を泳いでいるように見える。
一家団欒の川鵜の食卓の向こうに広がる原っぱには、両手で小さな箱らしきものを持って空を見あげている人がいて、そちらを見れば、木立の上に黄色い2枚翼のラジコン飛行機が浮かんでいた。
かすかなモーターのうなりが聞こえるのだが、ここからは感じられないけどそこには向かい風が吹いているらしく、ラジコン機は同じところをゆっくり上下に移動している。
そこだけ時間の流れが止まっているみたいだ。
2003.6.16 (Mon)
▼ 窓の外に [etc]
流れ星がずいぶん長く尾をひいた。
といっても、すぐにそう気がついたわけじゃなくて、「お、すごい光ってる」「え、あれは流れ星か」「う、ずいぶん長く尾をひいてるぞ」の3ステップを置いたわけだから、その間に願いごとを3回となえることができたかも知れない。
不覚である。
そういえばものすごく小さい頃、一瞬にして流れて消えた星を見て、こういう時のためにすかさず願いごとを3回となえられるようにしておかねば、と心に決めたはずだった。天上影は替わらねど、栄枯は移る世の姿。嗚呼、星雲の志いまいずこ?
ということで、もう一度、こんな風に長く尾をひく星を見た時のために、間髪入れずにとなえられる願いごとを用意しておこうと思ったのだが、さしあたって願うべきことがほとんどないのだ。
家内安全、火の用心。
みたいに至極当たり前なことを星に願うのはロマンティックではないし、第一、しっかり自分で気をつける方が確実で、何なら保険に入るという手だってある。
秋以降に暮らす部屋がすかさず見つかり、それが超格安&絶好のロケーションの物件で、ジェシカ・リンチさん救出劇の後のイラクの病院みたいなこの部屋がアッという間に片づいたと思ったら荷造りも完了していて、引越し宅急便の宣伝(ただし2年前ね)みたいに、気がつけば私は新しい部屋でビール飲んでいるはありませんか、な状態になること。
という超プラグマティックな願いをとなえるのは何となくもったいないような気がするし、そもそもこれ、3回となえるなんて不可能である。
そんなわけで、次の次こそ、すかさず立派な願いごとがとなえられるように、今度星が流れたら「願いごと、願いごと、願いごと」と念じることに決めたのだった。
2003.6.17 (Tue)
▼ 原っぱでビールでボサノバ計画 [etc]
これを実施するタイミングをうかがっているのだが、なかなかうまいこといかない。
競技フリスビーチームの一団とおぼしき4〜5人が、ちょっと前から窓の外の原っぱを練習場に使っていたのだが、ここにきて7人X7人のちゃんとした試合をやるようになってきたのである。
フリスビーっていうと、「初夏の晴れ間のもと、行楽地では思い思いの格好でフリスビーを投げあう若者でにぎわってました」的ほんわかムードがただよっているけれど、目の前の原っぱで繰りひろげられる光景は、走るミートパイみたいな屈強の若者が、「うりゃ〜っ」とか「どぅりゃ〜っ」に相当する英語の間投詞(単に奇声なのか?)まじりにフリスビーを投げあう一大スペクタクル巨編なのだ。
スラッとしていて 日に灼けて
年が若くて かわいくて
な女の子が、ビーチに見立てた芝の上を歩いている幻影を追いかけながらビールを飲むにしては雑音が多すぎる。
だったらホルストの「火星」だか「木星」だか(って、要は「惑星」の中の一番ジョン・ウィリアムスなやつのことです)を聴きながらのビールがぶ飲み大会に軌道修正すればいいのだ。
と気づいた時には、すでに陽は西に傾いて、がぶ飲みするには寒いかも。
なかなかうまいこといかないのだ。