更新日: 2003/10/09




2003.6.22 (Sun)

たぶん天気のせいだと思う [words]

朝方からどんよりと蒸し暑かった空は、夕方をすぎたあたりから雨を降らせはじめ、午後の9時をまわった今でもわりと大きな雨音が聞こえてくる。

小川に張りだす格好で茂る木々の葉から、大きな滴がこぼれ落ちているらしく、その下の水面には、一点を中心に大きく広がる波紋がいくつも出来ては消えていく。

雨粒が川面に波を立て、じわじわといくつも円を広げ、他の円にぶつかり、まじわり、だんだんと消えていく様子を見ているうちに、なんとなくビールが飲みたくなった。

五月雨の 空もとどろに 郭公 なにを憂しとか 夜ただ鳴くらむ

ボサノバを聴きながら芝の上に娘をながめるのがダメなんだったら、広がる波紋をながめながら木々のむこうにホトトギスを聴くことにしたのだ。

それに今日は旧暦の5月23日。だから五月雨なのである。



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2003.6.24 (Tue)

アウエルバッハという人が [books]

ヨーロッパ文学の現実描写には、基本的に2つのパターンがあると言っている。

1つはホメロス型。はっきりクッキリ、因果関係もしっかり書いてあるから、まるで目の前で繰りひろげられているかのような現実を作りあげる。

もう1つが聖書型。誰と誰がどこにいて、何がどうなってそうなったのかはさておいて、「神はアブラハムを試された」とくる。だから、これを読むためには、書かれていないことを想像するしかなくて、そういう現実描写というのは

物語の目的に必要な限られた範囲の現象の描出であって、これ以外の一切は明らかにされない。ここでは物語の展開上の決定的瞬間のみが強調され、それに至るまでの経過は存在を無視されている。時間的地理的に不明確で解釈を必要とし、思考や感情も十分表現されることはなく、したがって沈黙と断片的対話の中から推測するほかはないのである。

ということの意味が、じつはこれまで全然わかっていなかったのだが、たまたまテレビドラマのデータベースサイトをのぞいているうちに、それがどういうことなのかをカンペキに理解してしまったぞ。

ホメロス型の現実描写というのは今日見ているテレビドラマのことで、聖書型というのは15年後に読むテレビドラマのあらすじである。

ということで、いま私は、つぎのようなドラマのあらすじを前に、「沈黙と断片的対話」の中にいるのだ。

知らないうちにある男の妻にされたOLが、家裁に無効申請をしたが、その男が殺されてしまう。

上京してきた高校時代の同級生に見栄を張って忙しそうにするが実は平凡なOLだった。


新聞配達をしながら走る主婦と、会社にランニング姿で出勤するOLが、大会でトップを争う。



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2003.6.25 (Wed)

ロイヤル・ケミカル・ソサイエティ [culture]

というところが「完璧な紅茶の入れ方」を発表した。

陶製のポットにアッサムを入れ、お湯を注いで3分間。先に入れるのはミルク。熱い紅茶に注ぐとタンパク質が変化して風味を害するから。熱いとズズッとやってしまうので、60 度から 65 度になるのを待つ。

なんてことが Yahoo! のニュースに書いてあるのだが、「それだけなんかい?」という気がして、ロイヤル・ケミカル・ソサイエティのサイトをのぞいて見ると、これがやたらと面白い。

水をやかんに入れて沸かします。水は必要な量だけ入れ、時間、水、光熱費を節約しましょう。

とか

水を入れたポットを電子レンジで 1 分温めます。温まったポットのお湯を捨てる頃には、しっかりやかんでお湯が沸いているように算段しましょう。

とか、かなりふざけた細かい指示がけっこう笑える。

お湯を注ぐ時は、ポットをやかんの方に持っていくこと。逆はダメ。

じつはこれ、今年で生誕 100 年になるジョージ・オーウェルが 1946 年に書いた「A Nice Cup of Tea」のパロディなのである。ちなみにオーウェルは、お湯を注いでいる間もやかんを火にかけた状態にしておくために、ポットの方を持っていく必要があるのだ、と書いている。

これだけ飲まれていて、で、「ミルクは後か先か」問題をはじめとするケンケンガクガクの議論があるわりには、料理ブックのどこにも紅茶の飲み方が書いてないのはおかしい。

そんな風にはじまるオーウェルのエッセイは、紅茶の「正しい」飲み方について 11 項目にわたる細かい指示を羅列する。

ロイヤル・ケミカル・ソサイエティのレシピには「Personal Chemistry」と題された項目があって、紅茶の雰囲気を盛りあげるためには、部屋の中のお気に入りの場所で、座ってゆっくり静かに飲むのが肝心。で、最大限の効果をあげるためには、降りしきる雨の中を最低 30 分間、でっかい買い物バッグをかかえて歩く(または犬を散歩させる)と格別の味になります。なんてことが書いてある。

紅茶を飲む時におすすめの本は「パリ・ロンドン放浪記」。1920 年代のパリで労働者として、そしてロンドンで浮浪者として極貧の生活を体験したオーウェルのルポルタージュだ。

ものすごい冗談きついよね。



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2003.6.26 (Thu)

夏がやってきた(その1) [etc]

目が覚めて台所にいってみたら、ハエが数匹、わがもの顔に飛んでいたんでビックリしてしまった。

春先でもまだまだ肌寒く、初夏になってもセーターが必要な牛津村だから、ハエなんてものはいないと思いこんでいたらしく、しかしてハエの発生源やいかに、と自問する前に、これでやっと夏が来たのだ、と感動してしまった。

が、しばらくすると、これはやっぱり目にも耳にもうるさいぞ、と思いなおし、ハエの掃討作戦を開始した。

最初は丸めた冊子を手に、やみくもにハエを追っていたのだが、さすがにすばやく身を返されてサッパリ効果があがらない。

パンッと叩こうとした瞬間の動きが察知されるから逃げられてしまうわけで、これを封じるには、丸めた冊子をできるだけハエに近づけ、思い切りすばやくパシッとやればよい。

ということで、いかにして丸めた冊子をハエの近くに持っていくかがカギである。

ごく普通に手をかざせばヒョイとどこかに飛んでいくから、ごくごくごくごくユックリと冊子をかざす手をハエに近づける。もうほとんど太極拳のノリでそろ〜っと近づけてみたら、ハエは案の定うごかない。

前足をスリスリするのに忙しく、ごくごくユックリとはいえ、身に迫る危険にまったく気がついていない様子。

で、手首でスナップを利かせれば射程圏内、というところまで冊子を持っていって、電光石火でスパンッとやれば、ハエが「う、やばい」と気づいた時にはすでに手遅れになっているという寸法で、実際にこの作戦はかなりの効果をあげた。

日本の国債残高が「いつの間にか」500兆円を突破して、国民一人あたり525万円の借金をこしらえてしまったというニュースにも、何かしら積極的な活用法があるものなのだ。



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2003.6.27 (Fri)

夏がやってきた(その2) [etc]

原っぱの向こうから重低音が間断なく響いていて、うるさいなあと思っていたが、だいぶ夜もふけた頃、まだまだ響く重低音を一瞬にしてかき消すほどのでっかい音に窓の外をのぞいて見たら、そこには花火が何発も打ち上げられているのだった。

修善寺で療養中の夏目漱石は、縁側にずらした寝床から温泉の村に上がる花火をながめ、初秋の天を夜半近くまで見守り、そして3日後に危篤におちいった。

今日の私は2週間ちょっと前のヘリコプターの夢が現実化しなくてホッとした矢先で、ビール片手にベッドルームの窓の向こうに上がる花火をながめ、カネボウ薬用入浴剤「旅の宿」につかり、そして1年後のことを考えている。

牛津村に おかげ様の 花火かな


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