更新日: 2003/10/09




2003.9.19 (Fri)

イラク戦争って何だったのか [etc]

それが知りたくて、この10日足らずの間、これまでに書かれた新聞や雑誌の記事をいろいろと読んでいたのだが、読めば読むほど疑問は大きくなるばかりで、ここ数日は、そんな疑問にいっそうの拍車をかける発言がいっぱい聞こえてくる。

バクダッドを訪問したラムズフェルド国防長官は、米国のチームが行っている大量破壊兵器調査の進捗に関して「調査団から殊更な報告は何も受けていないし、こっちからも別段なにも尋ねていない」と答えている。鋭意進行中だから、やがて何らかの証拠がみつかるはず、ということらしい。

UNMOVIC前委員長のハンス・ブリクスが、イラクは大量破壊兵器を10年前に破壊していると主張していることを考え合わせると、何があろうと督促の電話に対して「今出たとこなので、もうすぐ着きます」を繰りかえす蕎麦屋みたいに聞こえる。

また、この国防長官は「(911テロへのサダム・フセインの関与を)信じることのできるいかなる兆しもない」とも言っていて、ブッシュ大統領もこれに同意している。

ライス大統領補佐官にいたっては、出演したテレビ番組の中で「我々はサダム・フセインが同時多発テロを指揮したとは一度も言っていない。テロリストを支援し、訓練の手助けをし、許しがたい地域の脅威になっているということを言った」と言い放っている。アメリカ国民の7割がサダム・フセインと911テロとのつながりを信じているとすれば、それは誤解である、ということらしいのだ。

ほとんど走ってないとは言ったけど、事故ってないとは一度も言っていない、と言い訳する中古車セールスマンみたいである。

なんだか分からない状況ではじまっただけでなく、イラクにかぎらずアフガニスタンやパレスチナ−イスラエルでも悪いことずくめの結果を生みだしている戦争の後始末を「国連加盟国にはより幅広い役割を引き受ける責任がある」というキャッチコピーで世界に売りこもうとしているのが他ならぬこの国の大統領だったりするのだから、なるほどアメリカはセールスマンの国なのだ。

「セールスマンの死」を書いたアーサー・ミラーは、「自分の尊厳を守るためなら、時に死ぬことさえもいとわない人物を前にした時、私たちは悲劇的な感情を喚起されるのだ」てなことを言っている。でも、この国の偉大なセールスマンたちの物語は、悲劇的な結果をもたらしているけど悲劇的ではないし、滑稽だけど喜劇からはほど遠い。茶番劇にしてはスケールがでかすぎる。

「アメリカ国民は真にリアルなものを求める。しかしそれを手に入れるためには完璧なまがいものが必要になるのだ」というウンベルト・エーコの言葉が正しいとすれば、今回のイラク戦争というのは自由と民主主義を売りこむセールスマンたちを主人公にした劇中劇だった、ということになるのだろう。



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2003.9.20 (Sat)

それが語るのは [etc]
いわゆる美しさだけではない。そこには同時に倫理があり、宗教があり、人と自然に向けられたまなざしがあるのだ。清潔さを重んずる心は衛生に通じ、複雑な手間を省き、簡素な手前の中に安息を見出すという意味において、それは合理性でもある。世界とのつりあいを感じさせるところには幾何学があり、あらゆる聖職者や貴族を趣の中に作りだすという点で、そこに映しだされているものは東洋における真の民主主義精神である。

なんてことはともかく、新潟県西蒲原郡「きむら食品」製造の「杵つきもちの中に粒あんが入った風味豊かなおもち」であるところの「焼いて食べる あんサンド」をほおばりながら、深夜に広がる原っぱを前にじっくりと飲む福岡県八女のお茶「翠瑞(すいずい)」はとてもうまいぞ。



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