更新日: 2003/10/09




2000.12.29 (Fri)

マイケル・ウィンターボトム「ひかりのまち」 [cinema]

マイケル・ウィンターボトム監督「ひかりのまち」の予告編を観た時、どうしてこの社会派の監督が、こんなコテコテのラブ・ストーリーを撮るんだろう?と思った。しかも音楽はマイケル・ナイマン。どうしてこんな人がコテコテのラブ・ストーリーの音楽なんかやろうんだろう?

で、映画を見終わった時、「やっぱ社会派のマイケル・ウィンターボトム、かなり考えさせられるよなあ〜」と思った。

舞台はロンドンのイースト・エンド。フリードリッヒ・エンゲルスが資本主義の裏側を告発した昔から低所得層の人が住む、かなり殺伐としたところだ。「ひかりのまち」は、ここに住む三姉妹(+弟+その両親)の物語。それぞれがそれぞれの問題を抱えながら、懸命に日々を生きていく。そして、そこには希望が「『ぜんぜんない』わけではない」程度のエピソードが描かれて映画が終わっちゃうのだ。

しかし、予告編を観た時と本編を観た時の感想がどうしてこんなに違うワケ?と思って、予告編をよ〜く思い出してみると、驚いたことに「ひかりのまち」の予告編は思いっきりウソをついていたのだった。

予告編を観て想像した映画のストーリー:

主人公のナディアが、「出会い系」サイトみたいな電話サービスでバイク男と知り合う。で、彼が「名前はアリスってことにしよう。『不思議の国のアリス(Alice in Wonderland←映画の原題が「Wonderland」なのだ)』のアリス」夜の遊園地を歩くナディア。二人は観覧車に乗る。夜に浮かぶ観覧車のひかり。ヴィバルディ系で盛り上げるマイケル・ナイマン。

本当の映画のストーリー:

主人公のナディアが、「出会い系」サイトみたいな電話サービスで男性(バイク男じゃない)と知り合う。バーで会ったがイマイチなんで裏口から帰るナディア。バイク男はナディアの妹の旦那なのだ。妻が妊娠したことを知ったバイク男が電話をかける。「名前はアリスにしよう(以下略)」ナディアの姉の息子が一人で夜の遊園地に出かける。夜の観覧車の映像。姉の息子を捜して遊園地を歩くナディア。探し当てた姉の息子は暴漢に襲われて泣いていた。

ここだけ切り取ったんでは何が何だか分からないと思うけど、とにかく、予告編で見せた映像は、「コテコテのラブ・ストーリー」だと思わせるべく本来まるっきり関係のないシーンをつなげたものなのだ。ウソばっかである。

まあ、たしかに、映画のストーリーを正確に伝えるとなれば、「すっげえ気の滅入る話ですよ」と言わざるを得ないし、そう言ったら絶対に客が入らないという事情は分からないではないけど、だからといって、まるっきり違うストーリーをでっち上げるってのはルール違反だぞ。

とはいえ、この映画に出てる役者はみんな巧い。だからますます客が入らないことになるわけだけど...



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2000.12.30 (Sat)

ラッセ・ハレルストム「サイダー・ハウス・ルール」 [cinema]

2000 年に観た映画で、まだここに書いていなかったやつがいくつかあった。まずは、「サイダー・ハウス・ルール」から...

なにしろアービング。波瀾万丈かつシッチャカメッチャカな世界が繰り広げられるわけだから、「でっかいスクリーンの日比谷みゆき座(座席数:700)で観なきゃいけない」と思いつつ、しかし「アービングの小説もちゃんと読まねば」とも思ったものだから、小説を読んでるうちに、上映館がシャンテ・シネ(座席数:300)になってしまった。しかし、焦ってみたところで、ペーパーバックで700ページを楽々超えちゃう小説はすぐに読み終えられるものではない。で、読み終わった頃には、上映館はさらに小さい東映パラス3(座席数:100ちょっと)になっていた。

驚いたことに、この映画はこれくらい小さい映画館で観てもぜんぜん問題なかったのだ。

原作の方は、端から端まで勘定すると50年くらいにまたがる大河小説なのに、映画ではなんとこれが15ヶ月の話になっている。しかも、原作のとげとげしい部分がことごとく割愛されているから、「これぜんぜん別の話じゃん」と思ってしまいそう。ところが、そこはアービングが自分で脚本書いただけあって、原作の「核(の一つ)」をうまくまとめていると思う。

つまり、今の時代に「孤児の物語」であって、「成長の物語」であって、「ハッピーエンドで終わる物語」は可能か?というところ。

いつまでたっても終わらない原作では、その結論が最後の最後まで判然としない加減がとても面白かったり・苦しかったり・感動的だったりするんだけど、これが映画ではバシッと「可能なんです」てな結論になってる。ジョン・アービングって人は、良くも悪くも、映画を観る観客の感性をあんまり高く評価していないのだ。とはいえ、台詞にせよ、画面の構成にせよ、とても淡々とした作りなので、わざとらしい感じはあんまりしないのでグッド。

ところが、「まるっきり原作通りじゃん」と思ってしまうのが、この映画のキャスティング。マイケル・ケイン演ずるウィルバー・ラーチ医師から、主人公のホーマー・ウェルズはもちろん、本当に脇の脇の役に至るまで原作のイメージ通りの配役なのには驚いてしまう。ホーマーが恋するキャンディという女の子のお父さんは、ロブスター捕りの達人であって、機械の発明・修理の鉄人であって、超偏屈男でもあったりするんだけど、台詞無しでほんの1カットくらいしか登場しないキャンディのお父さんまで、かなり「それらしい」。

ちなみに、唯一この映画で観客が率直に感情移入できないミスター・ローズという難しい役所を演じているデルロイ・リンドという俳優は、「十字軍観劇ツアー」の主催者である私の友人にそっくりである。



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