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あの子を探して」と同じように素人を使い、ドキュメンタリー風に作られた中国の映画で、「スケッチ・オブ・Peking」というのをだいぶ前にシンガポールで観た。監督はニン・イン。「ラスト・エンペラー」で助監督をして認められ、92年には「北京好日」という映画を撮っている。95年の「スケッチ・オブ・Peking」が2作目(だと思う)。

またしてもストーリーはいたって簡単。狂犬病の犬に噛まれた人が「何とかしてくれ」と派出所にやってくる。あとは「あの犬を探して」の大騒ぎになる。おわり。

ところがこの映画、見終わった後に大きな謎が残った。何でこんなに反政府的な映画が海外で公開されるんだ?

この映画を観た95年という時期は、97年の香港返還を前に、中国共産党に対する批判的言辞がかなり強力に押さえ込まれていた頃で、93年のディエン・チュアンチュアン監督「青い凧」のカンヌ映画祭への参加が中国政府の圧力で取りやめになったりしていたのだ。

この映画のシンプルかつ(一見)ほのぼのとしたストーリーが描き出しているのは、たかが犬一匹といえども、社会の安寧秩序を乱すものに対しては国家権力を総動員して排除する、というメカニズム。映画で警官を「演じて」いるのが北京市の実際の警官だから、映画に出てくる警官たちのボクトツとした表情なり身振りなりが、権力メカニズムが作動した結果として、動いている(動かされてる)人間たちに見えてくる。

だから、犬探しの騒動が大きくなるにつれ、指令をくだす権力のレベルが上がって、指令を受ける警官の数が増えていく。「Shall we ダンス?」の動きの表現と違って、この権力レベル/警官数はストーリーの進展とともに、ひたすら単調に(しかし確実に)上昇/増加していくのだ。


(つづく)

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