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もっとも、ラベルの「ボレロ」みたいに一本調子でカメラに動きが加わるわけじゃなくて、ちょっと動き出して、勢いを付け始めた頃にまた元に戻り、またすこしずつ動き始めては、もう一度静止ショットに戻る、という具合にワルツの円運動みたいにそのシークエンスを繰り返して、ダンスホールのお別れパーティの場で、みんなが踊り出すラストシーンでその動きが最大化されるように案配されている。


そういう意図があってみれば、役所広司演じる経理課長がダンス教室のある駅に降り立つ瞬間が、その後の運動の開始を決定付ける瞬間だということがわかる。

なかなかホームに降り立とうとしない役所広司をエンエンと映し出すことで、一刻も早く「運動」が始まることを観衆に期待させてる。で、当初のそのイライラを、すこしずつ動きはじめるカメラで解消する段取りになっているわけだから、この部分でどれだけ観る側にフラストレーションを起こさせるかが、その後の映画の流れを決めることになる。「最初の一歩」が大切なのはダンスに限った話ではない。


ところが、なのである。

ミラマックス版では、けっこうあっさり役所広司がホームに降りたってしまうんですね。やっぱ、映画の冒頭でこんな風にジラされると、観衆は怒るか、寝るか、寝た後で怒ってしまう文化風土を反映して、こんな編集になっちゃうんだろうか?やっぱ、アコギである。

しかし、通勤の直線運動から真横に一歩踏み出したいんだけど、それがなかなか踏み出せないというフラストレーションは、観衆のものだけじゃなくて、経理課長の杉山のものでもあって、さらにそれは日本の社会全体のものだったりするわけだから、このフラストレーションを味わうことになしに、この映画の楽しさを味わうことはできないはず。


ここを大幅に切り詰めないとこの映画を楽しめないんだったら、最初から外国の映画なんか観る必要はないのである。


May 28, 2000

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