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「Shall we ダンス?」は、いつカメラが動くか(あるいはいつまで動かないか)というところを観る映画だと思った。でも、それはもう5年も前の話で、それ以降この映画を観てないから、その感想は的を得てるんだろうか?

そう思って、「Shall we ダンス?」をもう一度観ることにした。

ただし、今回観たやつは、アメリカで公開された英語字幕付きバージョン。あの「イングリッシュ・ペイシェント」のミラマックス配給版だから、パーティを抜け出して激しくセックスする役所広司と草刈民代、などというオリジナルには影も形もない場面が追加されていたら嫌だなあと思ったけど、さすがにそこまでアコギなことはやってない。


というわけで、カメラの動きに思い切り集中してこの映画を観てみると、カメラが動き出すまでのシークエンスが本当に見事に計算されている。お見事。

カメラというのは観衆の「目」なわけだから、座って観てる観衆の「目」を、右や左、上下やズーム・イン/アップという具合に動かすからには、それ以前に観衆の心情を動かしておく必要がある。

だから、カメラが動き出すまでのシークエンスはこんな風になる。静止した人物をとらえた静止したショット。次に、静止したショットの中に、動きのある映像が入る。それから、カメラが軽くパーン(カメラ位置は固定したまま、首だけを右左に振る)する。で、カメラは人物を追って動きはじめる。カメラの動きはぐんぐんスピードを増す。


このカメラワークの組み立てが、静止したサラリーマンの日常から一歩踏み出し、ダンス教室に足を踏み入れ、すこしずつ体を動かしはじめて、ステップがだんだん身に付いていって、ワルツからフォックストロットへと動きが大きく早くなっていく、というストーリーの流れと完全にシンクロナイズしてる。だから、映画を観てる人が体を動かしたくなる瞬間とカメラが動き出す瞬間がピタッと合致する仕組みだ。

うまいものだ。


(つづく)

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