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アシュケナージの顔と愛川欽也の声との間の違和感に何とか折り合いをつけるのはそれほど難しいことではないけど、何をどうやっても映像と音との間に関連性が見いだせないこともある。これが長く続くと、かなりシュールな体験を強いられる。


去年の四月、ニューヨークに住む友達を訪ねた時に、熱を出して寝込んでしまった。することないから、ベッドに横になったまま、ボーダイなCATVのチャンネルをかたっぱしからながめていたら、「アカプルコ・アルマ」というドラマに出くわした。

「ビバリーヒルズ青春白書」のメキシコ版。でも、うんと予算が少なく、フィルムではなく、テレビカメラのセット撮影が多いので、見た目はただの昼メロといったところだ。

しかし、このドラマをやっていたのはロシア語チャンネルだったから、アカプルコのビーチでノーテンキに騒ぐ若者たちが全員ロシア語を話している。これが第一の違和感。

別にトロピカルな空騒ぎをロシア語でやってはやってはいけないということはないけど、こっちの頭にはドストエフスキーとかチェーホフの路線が刷り込まれているから、どうしても認知的不協和が起きてしまう。


登場人物は基本的に3パターンに分けられる:

1)「夢見るころ」をちょっと過ぎたオトナの男女。
2)「夢見るころ」まっただ中の男女(ダレカレかまわずナンパしようとするサングラス+ショーツ男とか、ダレカレかまわず付いていく女とか数名)。
3)「夢見るころ」まっただ中の男女を冷静に眺める男女(ビーチでサングラスとかサンダルとか売ってるおじさんとおばさん)。

で、この三種類X男女の組合せをロシア語に吹き替えているのは、男性一人と女性一人の計二人っきりなのだ。


(つづく)

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