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テレビのチャンネルを替えていたら、プラハ城が見えたので「おっ」とそこで止まると、ピアニストのウラジミール・アシュケナージが子供たちに音楽のことを教えている。

イギリス人の動物学者や中国の恐竜学者などなど、いろんな分野の「巨匠」たちが、子供たちを相手に授業をやる、という番組の音楽編だった。

スターリン体制下の思想統制と、その中で作曲活動をやったショスタコービッチの話から、アシュケナージ自身のチャイコフスキー・コンクール優勝にまつわるかなりキョーレツな裏話まで、かなり面白い内容なんだけど、何となく様子がおかしい。

最初は何がどうおかしいのか分からなかったけど、しばらく見ているうちに、アシュケナージの声に原因があることに気が付いた。愛川欽也が吹き替えているのだ。

愛川欽也が愛川欽也の声を発する分には問題ないんだけど、本人の姿が見えない状態で、その声が聞こえてくると、私の耳はこれを自動的に「いなかっぺ大将」のニャンコ先生に翻訳してしまう。だからスターリン政権下のショスタコービッチの葛藤の話であっても、ニャンコ先生の芸術論みたいに(しかし最初はこれがサブリミナルに)聞こえる。

どんなにバイオレントな状況でも、「ダーティ・ハリー」を山田康雄が吹き替えるとルパン三世フレーバーが抜けないのと同じ。心理学でいうところの認知的不協和だ。


(つづく)

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