でも、これってうんと昔からあるわけじゃないよなあ。
そう思って調べてみると、ロッテが雪見だいふくを最初に売り出したのは 1981 年だということが分かる(これを「うんと昔」と定義するのか、「それほど昔じゃない」と定義するのかは議論の分かれるところだと思うけど...)。
1981 年は、イギリスでチャールズ皇太子と今は亡きダイアナさんが結婚し、日本ではポートピアが神戸で開かれ、沖縄にヤンバルクイナが見つかり、新潮社から今は亡き FOCUS が創刊された年である。
で、フランスでは今やパリ大学の名誉教授であるジャン・ボードリアールという人が「シミュレーションとシミュラークル」という本の中で、現実は記号の中に存在すると主張し、日本では今や県知事となった田中康夫が、「なんとなくクリスタル」という小説の外に存在するブランドのディテイルの方が大切なのよと主張した年でもある。
アイスクリーム業界では後発だったロッテが、2 年続きの冷夏で落ち込んだアイスクリームの販売不振を挽回すべく、冬場にこたつで食べる大福餅をコンセプトとして開発し、異例の大ヒットとなった商品。
てな具合に語られる雪見だいふくだけど、そんな風な商品が空前の大ヒットとなるそもそもの背景には、機能や効用といった「実質」よりも趣向や違いといった「パッケージ」の方にこそ現実味を感じられるようになった時代の流れがあるわけで、それをボードリアールがポストモダンと呼ぶなら、雪見だいふくは日本におけるポストモダンの象徴であって、機能や効用ではなく、その記号性にこそ「日本的」なものの本質があらわれているのだ。
そんなことを考えたのはもちろん今日になってからの話。
昨日の晩は雪見だいふくをはじめて食べたこの地の住人が、これをもっぱら次のように賞賛するのを聞いた時には、目が点になっただけである。
「こういうので包んであればアイスが手に付かなくていいねえ」
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