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テレビの「夜のヒッパレ」で、宇多田ヒカルの「Wait and See 〜 リスク」の歌詞をじっくりながめていたら、しっかり聴いたとばかり思っていた歌詞がぜんぜん存在しないことに気が付いた。


げ、ひょっとするとこれってパラプラクシス?


「しくじり行為」と(たぶん)訳されているパラプラクシスは、言い間違いや聞き間違い、ド忘れにやりそこない、などを繰り返す背景には無意識下の願望が働いているのだ、と主張するフロイトの学説のこと。


たしかにね。


論文の締め切りをはじめ、「変わらないものなんてない」→「何事も変更可能」と思いこみたい数々の状況に、立て続けに出くわしている今日この頃、その方向で聞き間違えたとしても何の不思議もない。


それからもう一つ発見が「矛盾屋」。


実はここのところ、ヒアリングはちゃんとできていたんだけど、「矛盾や」と関西弁のイントネーションで言ってると信じて疑わなかった。しかし、何で突然イントネーションが関西弁になるのだ?「お盆のクラゲ問題」に解決の糸口が見いだせた今、宇多田ヒカルの関西弁問題が大きな謎として浮上していたんだった。

言語学で言うところの「コード・スイッチング(マルチリンガルな人が、何かの刺激をきっかけに、知らないうちに使用している言語を替えること)」のパターンで関西弁になって、さらにその後で英語になったとすれば...などといろんなことを考えた挙げ句に判明した解答が、こんなに単刀直入であってはいけないような気がするぞ。

そもそも、「矛盾」に「屋」を付けるのがいけないのである。「矛盾」というのは、複数の命題が同時に成立することが絶対にない、というきわめて論理的な状況なわけだから、「〜屋」的に作り出せるものではないのだ。


という方向でナンクセを付けようとしていたら、もっと大きな謎が手つかずで残っていることに気が付いた。

この曲に関西弁のイントネーションを聞き取ろうとした私の無意識の願望って何なんだろう?


June 5, 2000

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