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SE研修中の友だちからメールがきた。

仮想顧客の要求に基づいてシステムを構築する研修をやっている最中だけど、顧客の要求と自分たちの作りたいシステムとがだんだんとかけ離れてきてる。

机上で定義されてる仮想顧客との間でさえこうなんだから、実際の顧客を相手にしたらどうなることやら。

けっこう悩んでるではないか。


が、こうした話はコンピュータのシステム構築に限った話ではない。

それが証拠に「ミッドナイト・コール」(朝日文庫)というエッセイ集の中で、上野千鶴子はシンクタンクや広告会社で働いた時のことをこう書いている:


情報という雲をつかむような商品を発注するクライアント(注文主)は、しばしば、自分が求めている答えを知らない。しかも、まとはずれの答案を出せば「いや、これは自分のほしい答えとはちがう」と首をヨコにふる気むずかしい客だ。

相手が自分でさえ自覚しないかくされた期待を探りあてて、「ほら、これがあななのほしかった答えでしょ」と目の前に出してあげるのが情報生産者の仕事である。

そう、情報生産一般の話なのだ。だから、彼女が編集者の仕事について語る時も、実はまるっきり同じことを言ってる:


書き手のかくれた方向性や潜在能力に対する一種のバクチのような「先物買い」の大胆さ。教育者にも似た「待ち」の忍耐力。時には書き手の「超自我」の役割まで果たしてやらなければならない。

でも、こうした関係のあり方ってのは、さらに人間関係一般に拡大できるのではあるまいか?

お互いがお互いの編集者の役割を果たしていると考えてみると、「先物買い」の大胆さと「待ち」の忍耐力が必要で、時に相手の「超自我」の役割を果たさないといけないことが確かにある。


(つづく)

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