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まだ国立に住んで、修士論文書きに毎日苦しめられていた今年の4月から7月くらいまでの間、唯一の「現実逃避」策は、新宿南口のタワーレコードでとにかくいろんな種類の音楽を試聴コーナーで聴きまくって、2時間くらい暇をつぶすことだった。

まずはいちばん上のフロアに行き、ワールドミュージックとジャズの視聴コーナーから聞き始め、次はクラシック。で、一階下に降りてロック+レゲエ(といっても限りなくジャズに近いやつ)を一通り聞くと、さらにフロアを降りて、日本のインディーズで面白そうなやつと日本のクラブ系(なにしろ現実逃避が目的だから、とにかく重低音がバリバリに入ってるやつ)あたりを聞く。てなことを、3ヶ月間にわたってほぼ毎日やってるうちに、面白いことに気が付いた。

フロア・セクション毎に集まっている人のタイプがはっきりくっきり違うのだ。

ワールドミュージック+ジャズ系近辺にいる人は「地味目の個性派」という風情(ビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」路線の女性を除く)。これがクラシックになると、悪く言えば「地味目の没個性派」、穏当に言うと「おとなし目」、それから男性サラリーマンが圧倒的に多い。

これがロック系フロアに降りた途端に廻りの人間が「派手目の一見個性派」に変わる。「一見」がつくのは、流行りものの「個性」主張パターンが多いから。で、レゲエ・コーナーに近づくにつれ、「派手目の一見個性派」色に、「フリーサイズでかためた洋服」という要素が加わる。

またフロアを降りて、日本のインディーズ系に行くと、再び「地味目の個性派」タッチの人種が増えてくる。でも、ワールドミュージック+ジャズ系「地味目の個性派」とはビミョーに異なっている。何がどう違っているのかは自分でもハッキリ分からないんだけど、違ってるんだよなあ、これが。

面白いことに、日本のクラブ系の視聴コーナーには、いつ行ってもほとんど人がいなかった(m-floやケツメイシをテレビコマーシャルで毎日聴くようになる前の話なのだ)。

このパターンの「区分け」が、ほぼ毎日、3ヶ月にわたって観察される。しかも、日によってタワーレコードに行く時間帯がぜんぜん違っているのに、ほぼ同じパターンでの分布を見ることができる。聴く音楽とその人の(少なくとも)見かけの間には、よっぽど大きな相互作用が働いているに違いない。

となると、私はこの分布のどこに属しているのだ?


(つづく)

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