時と場所と体格の問題なのだ。
その時たまたま広場にいて、その瞬間に肉屋さんテーブル前に陣取っていて、背後にふくれあがる圧力に(からくも)対抗できるだけの体格だったから、象の映像をきっかけに、結局は何事もなかったその時をぼんやりと思いかえすことができるわけで、これが小さな子供やお年寄りだったら本当にヤバいことになっていたかも知れない。
で、もし私が人だかりの後ろの方に位置していたのなから、私の立場は加害者の一人ということになってしまう。もちろん人だかりの最後尾でないかぎりは、どこにいたって背後からの圧力は受けるわけで、基本的な立場としては最前列にいるのと何ら変わりはないと言えないこともない。それに、最前列を押しつぶす可能性に気づいたところで、そこから抜け出すことは事実上ムリなのだから、それを単に加害者と言いきるのはいかがなものか、という話もある。
でも、そう思っちゃいけないのだ。
それを時と場所と体格だけのせいにして、今さら何をどうすることもできないというスタンスを取ってはいけないのである。林達夫の次の言葉は、まあ基本的にそういうことを言わんとしているんじゃないかと思う。
歴史がのっぴきならぬ賭であることは私とて知っている。しかし堪らないのは、その一六勝負を傍から眺めながら、それに寒々とした懐中時計を賭けて固唾を飲んでいるお調子者である。(「歴史の暮れ方」)
で、歴史の一六勝負を傍から眺めることをよしとしない林達夫は、実際にこんなすごいことを書いているのだ。
私の言いたかったのは、「皇祖皇宗の遺訓」を守ることにその最も中枢的な使命を見出すはずの天皇が、その遺訓を片っぱしから破り、国民にその遵守を命ずる詔勅があとからあとから前のものを覆してゆくことに、人はどう感じているだろうかということである。これは人民のあいだの言葉をあえて使用することを許されるなら、紛れもない背教的行為であり、また背徳的行為でもあろう。...
私は天皇制の歴史は、天皇の利用者の歴史だと考えている。つまり、利用者が、その名目は何であれ、天皇制というもおのを程よく強化したり弱化したりして、彼らのためにこれを存続せしめてきただけのことである。(「反語的精神」)
最初の文章が書かれたのは1940年6月、後の方は1946年の6月のものだ。
20世紀の日本の歴史のポールポジションにいながら、前後左右からの力に抗してこういうことを書いた林達夫ってすごいと思う。
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