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ヨーロッパの洪水のニュースで、氾濫した水の中を泳ぐ(もがく?)象の映像を見たらプラハのことを思い出した。


日曜日の広場。

まるごと一匹を逆さ吊りにした豚をバックに、肉屋さんがソーセージの実演販売をやっている。肉を茹で、これを挽いて腸に詰め、端をくるりと巻いて楊枝で止めたら出来上がり。で、これを売るのだが、なにしろ昼メシになりそうなくらいでっかいソーセージが50円だか100円だかのチャリティプライスなので、そろそろ売るぞ、という頃合いで広場中の人が集まってくる。

製造プロセスの最初からながめていると、人だかりができはじめる頃にはこちらはポールポジションにいるわけで、続々と集まる人の気配が圧力となって背中をグングン押してくる。


じゃ、売ろうかな。

肉屋さんはいたって呑気に販売を開始するのだが、その瞬間、「堰を切ったように」と表現するのはこういう時なのかと思うくらいの勢いで背後からの圧力がふくれあがる。背後からだけじゃなくて、右脇は左側に押され、左からの力が右脇にぶつかってくる。肉屋さんの巨大なテーブルが前からお腹を圧迫する。圧死とまではいかなくても、ひょっとするとケガしても不思議はないかも、と思ってしまった。

百年来の洪水の被害を受けた象ならともかく、毎週のソーセージ実演販売で肋骨を折った日本人には誰も同情してくれないぞ。

プラハの広場で被害にあった間抜けな旅行者のニュースを想像しながら、しかしいま考えてみれば、その日本人旅行者の立場は正反対なものであっても不思議ではないことに気がついた。


(つづく)

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