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自転車を買ってもらい、ちょっとだけ大人に近づいた気分のレナートがマレーナを見る。でも、まだショートパンツを履かされ、床屋では別席をあてがわれるレナートが、大人の世界に嫌悪感を抱きながらマレーナを見る。「美しくない」現実が、マレーナをも巻き込むことを目撃する直前に見る彼女の姿。それに、彼女を連れて街を歩くレナートが目にするマレーナ。

(実のところ、ちょっと記憶があいまいなんだけど)主人公レナートが成長するプロセスの節目ごとに、画面右手に立つレナートの脇をマレーナが通り過ぎて行く、という「第三の男」のラストシーンがそっくりそのまま繰り返される。で、「第三の男」のラストシーンそのままに、マレーナはこっちにぜんぜん目を向けない。

それに、アリダ・ヴァリを中心に見た「第三の男」のストーリーも、「マレーナ」に似ている。死んだ(はずの)オーソン・ウェルズ演じるハリー・ライムを想い続け、ハリーが生きていて、しかも悪党だと分かって、で、本当に死んだ後でも、彼のことを想い続けて、ジョセフ・コットンに見向きもしないアリダ・ヴァリの役所(「やくどころ」です。ねんのため)は、そのまんまマレーナに受け継がれている。

そんなわけで、この映画の最後の最後で、モニカ・ベルッチがレナートの(ってことは、われわれの)方を振り向き、こっちを真正面に見つめる時、レナートとして彼女を見つめると同時に、ジョセフ・コットンに感情移入しながらアリダ・ヴァリを見つめ続けていたあの時を思い出し、積年のもどかしさが少しだけほぐれたような気になるのだ。


June 19, 2001

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