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私の同級生に、でっかい目をした坂口くんというのがいて、若い頃のオーソン・ウェルズにやたらと似ている。

でも、そういった例外的な状況をのぞくと、たいていの男性は(そして、たぶん女性の何割かは、ひょっとすると坂口くんも)「第三の男」の有名なラストシーンでは、ジョセフ・コットンに感情移入する。で、プラター遊園地の隣の並木道の墓地を行き過ぎるアリダ・ヴァリに、ほんの少しでいいから、ジョセフ・コットンを見て欲しいな、と思う。

感情移入している最中の気持ちを正確に表現すると、ほんの少しでいいから、こっちを振り向いて欲しい、ということになる。

世界中でいろんな人がこの映画を観ていて、とても多くの人がそう思ってきた。で、この映画をイタリアで見て、やっぱりラストシーンで「こっちを振り向いて欲しい」と思い、映画監督になった挙げ句に、その願望を満たすべく映画を作ってしまった。

それが「マレーナ」だ。

マレーナを演じるモニカ・ベルッチは、アリダ・ヴァリの「冷たい美人」系統だし、映画の中でマレーナはアリダ・ヴァリのレコードを聴いているし、この映画には古い映画のオマージュがいっぱい出てくる(ただし「第三の男」のオマージュはなし。「第三の男」が作られたのは 1949 年だから)。

ぜんぶ状況証拠だって?

でも、動かしがたい証拠がある。「マレーナ」には、「第三の男」のラストシーンそっくりそのままのシークエンスが何度も出てくる。そして、それぞれのシークエンスが、筋立ての中でものすごい重要な役割を果たしているのだ。


(つづく)

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