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というわけで、ジュリー・ウオルターズ演ずるバレエのウィルキンソン先生がとてもいい。最初は思い切り投げやりにバレエを教えていて、興味本位にビリーを見るようになり、だんだん彼の可能性を見いだしていく、というプロセスをとても巧く演じている。
それから父親役のゲアリー・ルイス。rough & toughな炭坑マンの親父が、同性愛的傾向も含めて息子の在りようを全面的に認めるようになる(=メンターに成長していく)くだりが、この映画の第二の山場。
「リトル・ダンサー」というくらいで、この映画はもちろんダンス映画でもある。主人公ビリーを演じるジェイミー・ベルのダンスがいいのはもちろんのこと。最初はやみくもに体を動かしている、といった感じのものから、だんだんとダンスの「形」になってくる。観ていてとても心地よい。
もっともこの面白さの半分以上は振付にあるはずで、自然な体の動きとダンスの境界線のこっち側から向こう側への移行がとてもなめらか。それから、ダンスするビリーのシークエンスに差し挟まれるダンスしてない人たちや風景のカット割がすごく巧くて、そうした画面までがちゃんと振付られているような気になる。
というわけで、「Shall we ダンス?」が動き出すカメラを描いた映画だったとしたら、「リトル・ダンサー」はダンスという形に収斂していく体の動きを描いた映画だと思う。で、やみくもに激しく動かしているビリーの体がダンスという形にまとまっていくプロセスが、バレエの先生であるミス・ウィルキンソン&ビリーの父親がメンターに成長していくプロセスとうまいことシンクロナイズする。
でも、バレエとは対極にあるようなビリーの激しいダンスの根っこにあるのが、80年代半ばにマーガレット・サッチャーに見限られた炭坑街のウラミツラミなわけで、お母さんに連れられてこの映画を観に来ていたお子さま方には、そこいらの事情がうまいこと伝わったのだろうか?
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