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ウオン・カーウェイという人は、とてもすごい映画監督だ。


一見、雑然としたカットをつなげて、とてもスタイリッシュな映像の流れを作り上げたり、音楽の使い方の感覚がとても鋭かったり、往年の(ベタベタの)ラブストーリーをすごく巧く現代に置き直したりするところなんかは確かにすごい。でも、この人の本当にすごいところは、毎回まったく同じ映画を作るところだと思う。

だから、ウオン・カーウェイの映画の話をする時は、「花様年華」だろうが、「ブエノスアイレス」だろうが、「恋する惑星」だろうが、みんな同じことになる。




適度に距離を置いて二つの円を描く。これが二人の人間。男と女であることがほとんどだけど、男と男の場合もある。女と女の場合は(まだ)ないけど、この先どうなるか分からない。性転換した男→女と女→男というパターンだって出てくるかも知れない。

で、この二つの円がだんだん近づいていって、最後は重なり合う、といのががラブ・ストーリーにおけるハッピーエンドの基本。離れたりすれ違ったりすることがラブ・ストーリーにおけるサスペンスで、観客は手に汗をにぎることになる。

もちろんここまで抽象化すれば、どんなラブ・ストーリーだって同じ構造に収まってしまう。

でも、たいていのラブ・ストーリーは、二つの円が近づいたり離れたりすることの「理由」を語ることに多くの時間を費やす。例えば、二人の性格や生活、偶然の出会いや再会のシチュエーション、それにそうしたことを語る際の映像のトーンや音楽。そんな風に、いろんな「理由付け」のディテールで観客を納得させることで、二つの円が最終的に重なり合い、ハッピーに(あるいは離れていくことでアンハッピーに)物語を終えることを正当化しようとする。


ところがウオン・カーウェイが描く二つの円の関係は、そうした「理由」の如何にかかわらず、常に近づいては離れて、すれ違っては、また偶然に出会うという、ほとんど理不尽な運動を繰り返す。だから、近づいたり離れたりするのに十分な「理由付け」を与えられれば与えられるほど、観客はいっそう宙ぶらりんな状態に放り込まれることになるわけだ。


(つづく)

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