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2000 年に観た映画で、まだここに書いていなかったやつがいくつかあった。まずは、「サイダー・ハウス・ルール」から...

なにしろアービング。波瀾万丈かつシッチャカメッチャカな世界が繰り広げられるわけだから、「でっかいスクリーンの日比谷みゆき座(座席数:700)で観なきゃいけない」と思いつつ、しかし「アービングの小説もちゃんと読まねば」とも思ったものだから、小説を読んでるうちに、上映館がシャンテ・シネ(座席数:300)になってしまった。しかし、焦ってみたところで、ペーパーバックで700ページを楽々超えちゃう小説はすぐに読み終えられるものではない。で、読み終わった頃には、上映館はさらに小さい東映パラス3(座席数:100ちょっと)になっていた。

驚いたことに、この映画はこれくらい小さい映画館で観てもぜんぜん問題なかったのだ。

原作の方は、端から端まで勘定すると50年くらいにまたがる大河小説なのに、映画ではなんとこれが15ヶ月の話になっている。しかも、原作のとげとげしい部分がことごとく割愛されているから、「これぜんぜん別の話じゃん」と思ってしまいそう。ところが、そこはアービングが自分で脚本書いただけあって、原作の「核(の一つ)」をうまくまとめていると思う。

つまり、今の時代に「孤児の物語」であって、「成長の物語」であって、「ハッピーエンドで終わる物語」は可能か?というところ。

いつまでたっても終わらない原作では、その結論が最後の最後まで判然としない加減がとても面白かったり・苦しかったり・感動的だったりするんだけど、これが映画ではバシッと「可能なんです」てな結論になってる。ジョン・アービングって人は、良くも悪くも、映画を観る観客の感性をあんまり高く評価していないのだ。とはいえ、台詞にせよ、画面の構成にせよ、とても淡々とした作りなので、わざとらしい感じはあんまりしないのでグッド。

ところが、「まるっきり原作通りじゃん」と思ってしまうのが、この映画のキャスティング。マイケル・ケイン演ずるウィルバー・ラーチ医師から、主人公のホーマー・ウェルズはもちろん、本当に脇の脇の役に至るまで原作のイメージ通りの配役なのには驚いてしまう。ホーマーが恋するキャンディという女の子のお父さんは、ロブスター捕りの達人であって、機械の発明・修理の鉄人であって、超偏屈男でもあったりするんだけど、台詞無しでほんの1カットくらいしか登場しないキャンディのお父さんまで、かなり「それらしい」。

ちなみに、唯一この映画で観客が率直に感情移入できないミスター・ローズという難しい役所を演じているデルロイ・リンドという俳優は、「十字軍観劇ツアー」の主催者である私の友人にそっくりである。


December 30, 2000

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