「殺人を経験してみたかった」という高校生は17歳。西鉄高速バスを北に向かって走らせた彼も17歳。そして、あの「てるくはのる」も今年で17歳になった...
その年って丙午みたいに年が悪かったの?
と、ブキミな年齢の一致に「わけもなくゾッとして」しまう友人がいる。
けどさ、17歳ってのは高校3年生の一歩手前にあるわけで、だから大学受験/就職モードの一歩手前なわけで、ということは、少なくともこれまでの通念では「その先の一生」を決定付けることになる(可能性が高い)時期を目の前にしてるわけよね。
ところがこれまでの通念が描いていた「その先の一生」ってガラガラ壊れてきている。そのわりには、そうした通念に沿って作られたシステムなり行動規範なりはいまだ健全な状態にあったりもする。
ってことは、17歳的状況は、心理学者ウィリアム・ベイトソンのいう「ダブル・バインド状態」に近いわけだ。これは:
たとえば「私の命令に従うな」という命令のように、二つの異なり且つ互いに矛盾するようなタイプ(審級)のメッセージを与えられ、しかもどのタイプのメッセージに答えるべきかについて判断できない。(柄谷 1992「探求I」 新潮文庫 p.90-1)
と、柄谷行人先生が言ってる状態のこと。
ベイトソンが言うには、そんな風な状況から抜け出そうとする時に、精神分裂症の患者は:
自分自身の発話において字義どおりの事柄と隠喩的な事柄とを混同する。(同じ本のp.92)
だとすると、この3人はビター・セブンティーンな状況を抜け出すために、折り合いのつかない現実をある種の空想に置き換え、さらにそのリアリティをより完全なものにするために、空想を実行に移した。と考えれば、どれもこれも一貫した行動のように見えてくる。決して、「年が悪かった」とかいった問題じゃない。
...というような説明のパターンって多いよね、こうした類の事件では。
でも、たかだか三つしかないサンプルに共通する(かにみえる)要因が存在するからといって、そこに一般化できるような法則性があるかも、と考えるのは根本的に間違ってると思う。何かを考えはじめたからといって、最後にうまいことちゃんとした結論が出るとは限らないのだ。
そこで、共通する17歳の謎に対する結論:「不思議なこともあるものですね」
こんな風な結論を書いていいんだったら、担当教授の影におびえる日々も...
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