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それはそれとして、この映画で面白かったのは「痛み」と「我慢」の関係。どんな肉体的苦痛が描かれ、それを我慢することがどんな意味を持つか、というところにお国柄が出るのだ。
「痛み」とその「我慢」、と言うとどこの国・文化でも同じことだ思ってしまいそうだけど、それは大きな間違い。映画に描かれるのをよくよく観てみると、ちゃんと「お国柄」が浮かび上がってくる。
高倉健や「おしん」が我慢するのは、寒さとか孤独に類する苦痛で、これを「黙々と」耐えることが日本の美学。中国の「さらばわが愛」で京劇スターへの道を夢見る少年が我慢しないといけない苦痛は、それよりもっと直接的でもっと激しい。観ていてこっちが痛くなる。それがアメリカの映画になると、苦痛は苦痛で我慢するんだけど、問題はそれがどれだけ良い結果が生んだか、である。
そんなつもりで「シュリ」を眺めてみると、冒頭の過酷かつバイオレントな北朝鮮の軍事訓練のシーンの中に、「苦痛をこらえる女兵士」の顔がぜんぜん描かれていないことに驚いてしまう。
つまり、我慢は評価項目に入っていない。前進あるのみ。けっこうキビシイぞ、これは。
もちろん、そうした「お国柄」の違いがあっても、「チーズバーガーな」映画であることに変わりはない。フランスのマックではビールを売ってるし、シンガポールのマックにはチリソースが常備してある。インドのマックの「バーガー」は豆で出来ている。
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