KING3LDK氏とラテンラスカズ氏による対談形式コラム。ヒップホップカルチャーを掘り下げてます。


第十一回ヒップホップ黒船の巻き

KING3LDK:
(以下3)
久しぶり!!、最近なにかと更新出来なくてすみません…。では久々に「ディープトウキョウ伝説」改め「街角3K新聞」スタート!! この間、某BBSにて「日本にヒップホップが入って来た経緯を知りたい」と言う、社会学の勉強をしている大学生の書き込みを発見して、そう言えばそう言う事をここで書いて無いなぁ…と思い、今回その筋に詳しいカズくんと話してみようかなと。でまず、ヒップホップで(注1)クールハークがブロンクスでおっぱじめたって所が初めてでしょ?。
ラテンラスカズ:
(以下ラ)
おそらく、そうだと思うけど、その辺の事はネルソンジョージって言う人が書いてる本に詳しく書いてあるから興味がある人は是非って感じ。この前DMRの社長が言ってたんだけど確かそのネルソンジョージの本に(注2)ステッサソニックのTalkin all that jazzの裏話が書いてあるらしくて、エムトゥーメのリーダーのジェームスエムトゥーメが当時ラジオでサンプリングやブレイクビーツで構成された当時まだ出始めだった手法に対して、『あんなのは音楽じゃない』と強烈に所謂サンプリング批判をしてたらしくて、それを聴いていたプリンスポールが『お前のその考えはナンセンスだ』って事で作られたのがTalkin all that jazzでリリックの頭が"You"で始まっているのはジェームスエムトゥーメを指して作られたという実は攻撃的な曲でもあったというこの話、グッと来ない?。
3: いきなり濃ゆいエピソードからスタートですが、サンプリングの危険な魅力の一面でもある、日本でもチャー氏をはじめ、聡明で有ればあるほど偉大なロックシンガーはサンプリングに反対してたし、日本のヒップホップでもイーストエンドの「DA・YO・NE」が流行してた当時、たまたま来日していたジョージ・ベンソンに、「これワシの曲やんけ!」と見つかりえらい法外な金額を払わされた、当時レーベルメイトだった僕らも「XXX JAPAN」のリリース前で、タイトル曲「XXX JAPAN」と言うPE#1まんまの面白い曲がお蔵入り…、プロモのアナログにのみ入った(笑)、でもってサンプリングの話しはさておき…。日本にヒップホップがいつどう言う形で入ったか?、と言う話しですが…。
ラ: あっそうだった、山田邦子のラップみたいなやつとか、吉幾三の『オラ東京さ行くだ』は実際ラップを意識して作ったらしいし、ってことはこの辺が流行ってた当時ディスコやマニアックな音楽ファンには少しずつhiphopがブレイクダンスやスクラッチ辺りから徐々に火が付きだしたって感じだと思うけど、あと当時はアートオブノイズとかのサンプリング(前出のTalkin all that jazzノリとは違う。)も出始めで、『19』の言葉を痙攣させる手法がスクラッチと一緒くたになってた時代。とにかく始めはブレイクダンスという形で入ってきたと思う。それのバックで流れてる音楽。
3: 風見慎吾のブレイクダンスも含めてね…。で、とにかくスクラッチの定義の所が当時そうとう怪しかった(笑)、当時自分自身の定義も怪しかったけど、何にせよ全体的に怪しい感じではある。あと音楽好きな人からすると日本では「ヒップホップ」は最初「黒人のニューウェーブ」と言う感覚が強かったらしく、バンバータ&ジェイムスブラウンの「ユニティ」は当時のレコード屋ではジャンルを分けあぐねて、ニューウェーブのコーナーに置いた。『19』は僕もMTVで見て「何これ?」と思ったし、あと「ロックミーアマデウス」これもポップス×ヒップホップの初期型、アートオブノイズのサンプリング技術を上手く薄めた例かな、こう言った感じで言うと日本のヤツって良いの無いなぁ。
ラ: ラップじゃなくてサウンドの方でヒップホップしてるやつはあまりないよね。最近ではブレイクビーツでやってる曲とかはあっても。ヒップホップは日本でも市民権を得たなんて言ってるけど、所詮ラップとスクラッチがようやく認知されただけ。だからそれがはいってないとアブストラクトな扱われ方になる訳でしょ。まあその辺は聴く人のセンスにゆだねる訳だからいいんだけど。
3: まぁね、最近は日本も一足飛びにヒップホップは今っぽい方向に行ってるけどね、MTVアワードジャパンとか見ると笑っちゃうけど、マジで。でも12〜3年前位の当時って(注3)ハードコアボーイズなんかを筆頭に、エディットスタイルやそう言った本当の意味で、ヒップホップをリサイクルミュージックとして日本で最初に構築したグループって、他ではM.I.Dなんかかなぁ…、ちょっとカズくんのコメントの答えになって無かったけど。あと本なんかで見聞きするのは、その当時、それこそ12〜3年前に藤原ヒロシ氏がクラブなんかでスクラッチしてるのを見て、そこにいたお客がビックリしたと言うのはよく聞く、そのお客が完ちゃんとか立花ハジメとか。
ラ: それまで踊っていた客がスクラッチした途端にサーッと引いて行ったとかね。ま『日本にヒップホップが入って来た経緯』という話しに戻すと当時テクノポップとかニューウエイブの勢いがある程度落ち着いて来いて、それに代わるべく自然とヒップホップに流れたと言うか、それ意外無かったというか、それしか考えられないぐらいのインパクトが有ったミュータント的な物だったし、そのころのリスナーの耳は僕もそうだったように、どんどん過激なサウンドを求めてて、オーケストラヒット、ゲートリヴァーブなんかのエフェクトだったり、サンプリングによる痙攣みたいな音の流行がテープエディットとういう形になり…当時を知らない人も想像して欲しいんだけど、新しいジャンルが生まれる影に、それまでになかった楽器が生まれたりしてた訳で、恐らく当時一早くヒップホップに着手した人は何とも言えない、急かされる気持ちと言うか、『これは絶対に主流になるから、はやく何とかしなきゃ』みたいな気持ちに急かされてたと思う。俺もそうだった。
3: 最近で言えば、KORGから出た「TRITON」とかもヒップホップ用の機材では無いにせよ、サンプリングのクリアランス料を払いたく無いヒップホップアーティストが、鳴りが良いクリアなプリセットドラムに、ウワモノを弾く良い音色が入ったキボードを探した所これに辿り着いたらしく、やっぱり正規の使い方では無く、いかにもヒップホップ的な使用法だったり。過去ヒップホップでメインを仕切って来た(注4)S900やS950も、もともとはキーボードの音色用のハードだったから…。そう言った本来の使い方で無い使用法で作る音楽って面白いもので、僕も未だきっちり機材のマニュアルを読んだ事が無い、多分そう言う良い意味アバウトな所とかがこう言う音楽が普及した所だと思う、まぁ最初はそれすら分らずめちゃくちゃな事やってた訳ですけど、前の回でも書いた角松敏生なんかも比較的早くに着目してたクチで、それ以外で80年代中盤では竹村健一のメガミックスなんかも「ラップ入り」として登場してた
ラ: まさに本来の使い方で無い使用法ってとこがかっこいい。これからヒップホップが発展していくとしたら、こっちかな?、でもあんまりこれが流行ったからってすぐ流されるのは好かん。
3: ふむふむ、本来の使い方で無いのはターンテーブルもミキサーもそうだし、レコード盤もそう、ヒップホップはそう言うジャンクな所が良い…って、本題の「日本にヒップホップが入ってきた経緯」は山田邦子と吉幾三と竹村健一が元祖でいいんかなぁ…(笑)、でも吉幾三は当時ロスの知り合いから送って貰ったテープの中に入ってた「ラッパーズディライト」が元ネタで、それをハードコアボーイズがエディットしたのだから正統派と言えば正統派(笑)、他は多分アートオブノイズやクラフトワークなんかも入ってるのかなぁ〜、山田邦子や竹村健一なんかはポールハードキャッスルの「19」を誤解したアンセムソングだったり…。どっちにしてもメジャーフォースやズールーネイションジャパンが活躍するのは2〜3年後で、メロンのメンバーや藤原ヒロシ、モンチ田中等が同時期にヒップホップに着目はしてたらしいけど、一般的に認知されたのは全然最近かもネ。