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KING3LDK:
(以下3)
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「はい、こんにちは3LDKです、で今回から始まった、この『ディープトウキョウ伝説』はとにかくヒップホップマニアでおなじみのラテンラスカズ君をゲストに向え、ダラッと歴史&思いでなんかをニヤニヤしながら語ろうと…。」 |
ラテンラスカズ:
(以下ラ) |
「はいはい、集めに集めたからね、レコード、テープ、ビデオ、スクラップ…、ただし90年位までだね、本当にオンタイムで夢中になってたのは、俺の場合ブレイクダンスのバックで流れるタイプのヒップホップから入ったんで、始めはラップと言うよりヒップホップだね、その辺のニュアンス分かる?。」 |
| 3: |
「うん、なかなかドープな始まり方やね(笑)、いわゆる『ロックスティディ』っつー形態、これが本場でも始まりと言われてる…、ギャングの抗争が多かったNYでバンバータが『ケンカしたらあかん!ダンスで勝負したらええねん!ほんなら人も死なへんしみんな楽しい!』と鶴の一声的提案で始まったのがブレイクダンスで、そのバック音出してたのがDJ…、そうでしょ?」 |
| ラ: |
「始まりってのはそう言われてるよね、でも一般的にヒップホップが浸透して行くのって、シンディーローパーとかのポップスみたいな所で、ヒップホップ的な手法(スクラッチ、ラップだけでなく)が使われ出したあたりが一番ドキドキしたんだよね、3Kとは同い年だけど、言わんとしてるヒップホップの時代感がビミョーに違うかも、『ワイルドスタイル』とか見てもあまりに泥臭くて、ピンと来なかった(笑)、カッコイイと思ったのは大分後からで…。」 |
| 3: |
「正直RUNDMCやP.Eからヒップホップ入って、タイニーパンクスに行って…みたいな感じだったんで『ワイルド〜』は大分後で見たなぁー、近所のレンタル屋で見つけて『あった!』とか思って見たけど、『なんか外国の裏ビデオみたい…』と思った記憶がある。時代感と言えば、僕はSDPの『スチャダラ大作戦』とDE LAの『3FEET〜』で完全にヒップホップ感が変わった、それまではカンゴール&アディダスの所謂B-BOYだったから、SDPファースト&DE LA来日以降は早かった(変わるのが)、あっと言う間にメダリオンとか半ズボンとか(笑)、あとはもうなし崩しにリーダーズとか聴いて…、クラブもこの頃から行き出したかなぁ。」 |
| ラ: |
「ちょうど上京した頃かな、3Kとクロスしてるのは、宝島とかCUTIEとかFINE見てたでショ?」 |
| 3: |
「見てた見てた、当時その手のトンガってる物全てがヒップホップに連動してて、例えばDEPTやヒステリックにカンゴールハットやゴールドチェーンが売ってたり、完ちゃん(高木完氏)が宝島なんかでトラックスーツ紹介してたり…、今のそれらの雑誌では、考えられない時代でした。」 |
| ラ: |
「そう、なんか色々興味を持つ所とヒップホップがリンクしてて、洋服好きの人とかデザイナー、業界人みたいな人は、みんなヒップホップと絡んでた様な気がする。」 |
| 3: |
「確かに!。僕は、イベントで関西に来た東京のDJやラッパーの事が印象深い。当時だとクラキン(クラブキング)の『革命舞踏会』とかすごいおしゃれして行った、前日服買いに行ったもん。」 |
| ラ: |
「ナイキのコートフォース履いて、ステューシーの短パンにアニエスのボーダーT…、みたいな格好してて、どちらかと言うとレコードより服買ってた。」 |
| 3: |
「HFAとかラストオージーとかがお手本で、レコード、ファッションその他大体それがチャート式になってた。メジャーフォースのレコードも必ず買ってたけど、当時だと他の日本人アーティストはどんなレコードをリリースしてたっけ?。」 |
| ラ: |
「来たねェー!。メロン、タイクーントッシュ&ターミネータートゥループス、いとうせいこう(マックザセイコウ)、オーキッズ、ファンクマスターゴーゴー(注1)……ってあたりが宝島派に人気があった。それでも日本では、スクラッチ&ラップはまだ珍しかったなぁ、でもよく見ると当時でも出てるんだよね、『スクラッチ入り』とか『ラップ入り』と言う触れ込みのレコード、ユーミンとか…。」 |
| 3: |
「うんうん、ブルースリーの日本版で言う『怪鳥音入り』(あのアチョーは当時怪鳥音と言われてた)みたいな感じで…、そう言う触れ込み的な所で言うと、角松敏生(注2)が結構早くから、ヒップホップに注目してて、ラジオなんかでヒップホップスタイルのDJとかやってた。」 |
| ラ: |
「そうなのよ、タイニーパンクスだけじゃなく、実は他にもM.I.D(注3)や角松敏生もそうだけど、探すと結構早い時期にヒップホップしてた人もいる、しかも向こう(米国)でHITした曲のパクリだったりするから、これまた面白い。角松の当時のラジオの選曲なんか、85〜86年あたりのKISS FM(注4)ばりに『ロックミーアマデウス』(注5)なんかと絡めてRUNDMC、LL COOL Jは勿論、システムあたりをツタないけどガシガシのマスターMIXスタイルでつないでた。あとラジオと言えば、HOW TO SURATCHみたいな企画もあって、ヒップホップばかりでなくチェッカーズマスターMIXとかしょっちゅうやってた。」 |
| 3: |
「マスターMIXの時代やね、M.I.Dなんかは当時でも職人として有名だった訳ですけど、マスターMIXとなると、機材的にも技術的にも当時の僕には無理だった、でもかの藤原ヒロシ氏も、マスターMIXと言う技法は、色んな雑誌で紹介してた、ラストオージーとかよりもずっと前。」 |
| ラ: |
「そう『テッチー』って言う宅録(今で言うD.T.M)好き向けの雑誌があって、タイニー以前の二人が、スクラッチや機材を紹介してた。当時はまだサンプラーなんかも出たばっかりで、例えばアートオブノイズとかには、オーケストラヒットみたいな聴いた事の無い音も使われてて、聴く度にビックリしてた、その時はアートオブノイズもヒップホップとして聴いてた。」 |
| 3: |
「宅録がD.T.M(デスクトップミュージック)と言うと所がビミョーで面白いけど…。でもアートオブノイズは、ヒップホップを語る上では忘れられない存在かも、最近でもDMC(注6)で、DJ CRAZEがアートオブノイズ45回転の2枚がけで優勝してた、ビートはヒップホップやね。そしてマスターMIXと言えば、本家本元ラテンラスカルズ、この2人組は当時のNYのラジオ番組で、天才的なスキルを見せてた。テー
プでしか聴いた事無いけど85’の伝説のラジオ番組はやっぱり良い、NYはラジオな
んかが盛んでいいネ、やっぱ『ラジオ』と言われるとDJとしては力が入る。」 |
| ラ: |
「『クラブ』と比べて『ラジオ』は凝った事が出来るからね、テクニック的にクラブとラジオでは違うよね、唸らせるか踊らせるか。」 |
| 3: |
「う〜む、なるほど、だんだん面白くなって来たぞぉ〜、と言いつつ来月の『DJ(ディスクジョッキー)偏』へ続く!!」 |
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