画家
関 マスオ
 
1950年1月31日生まれ  東京都国立市生まれ 武蔵大学経済学部経済学科卒業
 中学、高校、大学を通じて美術部で活動する。大学卒業後、 東京デザイナー学院で商業デザインを学ぶ。最初の仕事は、 成美堂の出版する「アメリカンフォークソング歌集」に描いた 50点ほどのカット。1冊の仕事で十万円の収入だったとのこと。 マスオ氏25歳の頃。その後、広告代理店の制作室の採用試験に 応募し、難関を乗り越えて最終選考の二人にまで残るが落ちる。 その後は、写真業界誌で漫画、レタリング、カットを描くなど フリーとして仕事をするかたわら、同好者を集めてクロッキーの会 を続ける。描いたクロッキーは数十冊にもなる。

1998年春スペイン旅行 イエスペの村の廃校
他の作品を見る
 マスオ氏が、岩崎ちひろさんの作品に心惹かれたのは高校生の時「ヒサの星」という絵本をみてからだった。ノーマン・ロックウェルや70年代のファインアートもマスオ氏の作品に影を落とす。マスオ氏の画風は、マチエールを活かすアクリル、パステル、色鉛筆などを用いたスケッチから生まれる。モチーフは人と動物、風景などだが、描かれる対象そのものよりも、対象にまつわる出来事、対象に重ねるマスオ氏自身の思いがモチーフなのである。
 1987年の秋、国立市東の自宅のすぐ近くで、画廊と喫茶店の経営を始める。画廊の名前は「エソラ」という。絵空事も虚言も辞書にある言葉だが「エソラ」だけだと新しい日本語になるというのが命名の理由。喫茶店の名前「キャットフィッシュ」は、叔父の関頑亭画伯が画題とする鯰の英語読み。マスオ氏の家は、武蔵国分寺にほど近い谷保村に4百年以上も前からつづく旧家である。兄一人姉二人の末っ子で、叔父は前述の頑亭先生ともう一人、関敏先生がいる。幼い頃アトリエの敏先生が、巨大な石に向かって鑿を打ち込む火花をあかずにながめた記憶があり、友人と二人で敏先生にデッサンを習ったこともあるという。恵まれた環境に育ったマスオ氏だが、37歳にして、じっくりと自分自身を問い直す場を持つための開業であった。
「エソラ」のオープニングは、人間国宝の三浦小平二氏の陶芸作品や、作家の山口瞳氏、嵐山光三郎氏、漫画家の滝田ゆう氏、頑亭先生、敏先生などの書画による合同展だった。
マスオ氏の初の個展は、1998年の秋、スペイン旅行のスケッチによる「スペイン・金魚展」だった。マスオ氏の趣味は、旅行、ビリヤード、麻雀、プロ野球のヤクルト応援将棋など多彩だが、最近は「ほんやらなまず句会」のメンバーとして俳句作りに精進。
 花の雨急に優しく手紙かく
マスオ氏の近句である。